徳島の大動脈、小松島線が廃止された経緯

小松島線は阿波国共同汽船によって徳島ー小松島間に敷設され、1913年4月20日に開通し、1917年9月より国有化された路線です。

小松島港では、和歌山、大阪、神戸、深日といった本州行きの船に連絡していました。
和歌山行きの船は和歌山側で南海鉄道に連絡する鉄道連絡船でした。
南海鉄道とは現在の南海電気鉄道のことで、現在も南海フェリーが和歌山港―徳島港間に鉄道連絡船を運航しています。

小松島線は本州と徳島を結ぶ路線としてでなく、本州から徳島を経由して四国方面へ至る大動脈の一部としても機能していました。
1962年4月小松島港から、高知行きや松山行きの準急が運行を開始しました。
これは南海電気鉄道が国鉄の利用債を引き受けたことで実現し、当時最新鋭の気動車キハ58による運行が行われました。

1961年に徳島―中田間が牟岐線に編入されたことで、小松島線は中田―小松島・小松島港間の路線となりました。
しかし、小松島線の性格は本州と徳島、さらに四国方面を結ぶ路線であったため、中田―小松島・小松島港間だけを利用する乗客はほとんどいませんでした。
にもかかわらず、小松島線の収支は中田―小松島・小松島港間のみで計算されました。
1982年の衆院予算委員会の会議録によると小松島駅の売上は年間で6,900万円であったのに対し、小松島線(中田―小松島・小松島港間)の収入は2,200万円でした。

また、本州―徳島―四国を結ぶ大動脈にふさわしく、小松島駅には客車区、気動車区、機関区が存在していたため、路線単独での収支上の見た目では収入に対して経費が大幅に掛かる数値となってしまったのでした。
1982年の衆院予算委員会の会議録によると路線単独での営業係数1572であり、これは10円稼ぐのに1572円の経費が掛かることを意味しています。

以上のように、小松島線は本州―徳島―四国を結ぶ大動脈であったのにもかかわらず、収支上不利な計算方法によって赤字路線扱いされたため、1981年に第1次特定地方交通線に指定され、1985年3月14日に廃止となりました。

公開日:2023年05月30日
最終更新日:2023年12月07日